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月曜日, 5月 21, 2007

メモ:再利用できるコードが作りにくい理由

最新のテクノロジは大抵新しい関数セットか新しい文法として用意されていて、
便利だけれど次のバージョンで呼び出しの形が変わる危険性を持つ。

例:
文法の仕様全体にある程度理解をもたなければ、
10.0と10.が文法上等価であることはわかっても、
どちらかの表記は将来的にサポートされなくなるかも、と心配することは
ヒトの連想として十分自然である。
そしてコードとして安定したバージョンは存在しても、
そのコードのみでスレッドやネットワークなどの最新機能を一から記述するには
あまりにも非効率である場合が多い。

それで道具としてコードを書くプログラマは、いきおいどちらかに傾いていく:
「計算」に徹する、アスキーやバイナリの入出力のみの枯れたコードのコンソールアプリか、
「表示」に徹するシステムアプリか。
両者はほとんどの場合、個人レベルでは統合されない。

新しい機能が追加され、それを関数ラッパーで包んでいく限り、
そしてその「サービス提供」がソフト会社の収入である限り、
計算機コードが真の意味で
「再利用可能」と言える瞬間は存在しない。